「悲しみのアンナ」読破

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佐伯泰英氏の著書「悲しみのアンナ」を読み終えました。このシリーズ、徐々にハマりつつあります。私が主人公であるアンナ・スタインベルク・ヨシムラという警視庁の通訳に共感しているからかもしれません。

今回は、アンナが誘拐されることを発端に事件が始まります。アンナは警視庁巡査部長の「クゲマロ」こと根本と中華街のとあるレストランで待ち合わせをしていました。ところが、根本のところにアンナは現れない。クゲマロの直感で、アンナに何かあったということがはっきりとわかりました。そしてアンナを探し、奪還するのですが、なぜかアンナは狙われ続ける。そして、どうして狙われるのかがわからない。根本は献身的にアンナを守り、事件の真相を導き出していきます。

前回、シリーズ第一作「五人目の標的」を読んだとき、この小説は読みやすくて好きだと思いましたが、いまいちわかりやすすぎたという面があって、だけど読みやすいには変わりないし、国際的な舞台をモチーフにした作品が最近のお気に入りだったので、続けて読むことにしたんです。今回の事件には、アンナの生い立ちが多いに関係していて、最後は悲しみの結末が待ち受けています。

アンナという女性は、ドイツ系アルゼンチン人と日系人のハーフで、アルゼンチンで幼少期を過ごしたのですが、両親を何者かに殺され、妹が行方不明になり、天涯孤独になります。多民族の血が流れ、色んなところに住んでみたけど、どこもいまいちピンとこない。きっと彼女は典型的な「無国籍人」です。そして、それは私にも共通するところがあります。私はロシア系の家系に生まれ育った日本人ですが、典型的日本人の社会からはどちらかというと疎外されていると感じながら生きてきました。だからイギリスに留学したり、世界放浪をしたりして、自分の居場所を探しているような気がするんです。今はいい職場に恵まれたと思っていますが、そこだって同僚の半分が外国人で、ラテン系のノリでやっている会社。性格的にはわりとラテン系と合う私にとってはパラダイスだし、何よりそこが無国籍な空間であるから、居心地がいいのかもしれない。私もどの社会でも生きていくのが難しく、国籍という枠を超えたところで生きている人間。だからこそ、世界中に家族がいるような気がする一方で、常に孤独でもあるのです。アンナの場合、悲しい生い立ちもあって、常に孤独な自分が前面に出ていますが、それでも日本で良き理解者に恵まれ、何とか自分を保っているように見えます。そういうところが私と重なるから、ついついこのシリーズは読んでしまうんでしょう。ディテールが巧妙にできているかではなく、主人公の人間的な部分が、私を惹きつけています。だから、この先もこのシリーズはコンプリートするまで読んでいくつもりです。

その前に、こちらの本を読んでいこうと思っています。

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同じく佐伯泰英氏の著書「ユダの季節」です。こちらはスペインが舞台になっています。

でも、この本を読んだら、暫くはまた普通の日本の警察小説に戻るつもりです。警察官が出てくれば何でも読むというのが私流ですから。今のペースで佐伯氏の本を読んでいくと、いつか彼の著書全てを読破してしまうでしょう。それは勿体無いので、色んなものを混ぜながら読んでいこうと思います。

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